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ゲバラは、今でも語りつがれる英雄

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ゲバラは、たくさんの日本人にも今なお尊敬されて語りつがれているよね。

彼が今もなお輝き続けているのは、彼がお亡くなりになりになられてから50年たった今でも第2第3のゲバラがいないのかと思うのがとても残念だ。

今日は、彼の39年間の生涯について俺の感想をまじえながら語ろう。

彼の幼少期は、母親が政治家の娘だったこともあり裕福な家庭に育ったのだが彼には、喘息という病があったため満足に学校に通うこともできなかった。それでも教育熱心な母の影響もあって彼は、たくさんの書物を読むなどして医師の資格を取得して安定した将来を約束される地位になるのだが!

彼は、自分は、いったい何者なのだろうか?

本当にこのままでいいのだろうか?

これでは、退屈すぎるなど自分自身をしっかりと見つめているうちに疑問に感じる事が多かったらしい。

その事が原因で彼は、アルゼンチンをたって南米をバイクで旅をする事を始めたきっかけになったのだろうね!

彼がチリに行った時に喘息で10日以上苦しんでいる女性を目のあたりにすることになってしまったんだ。

しかもその女性は、ゲバラと違って貧しさのあまり薬を買うこともできないから彼は、見るに見かねて必死に治療したんだ。

彼は、バイクで旅をしながらそういう人達の治療を行っていたんだよ。

それから彼が次にたどり着いたのは、ボリビアという貧困層が富裕層に立ち向かうための革命が行われている国だったけど残念ながらボリビアの民衆は、人が死んでも他人事だったようだからゲバラ自身は、そういう現実に直面してかなり思い悩んだんだ。それになす術も無くただいるだけの自分自身も傍観者でしかないと思い悩んだのは、想像したくないよね

この頃の彼は、医者でしか無かったし、戦い方なんか知るはずもないから仕方ないとしか言いようがないよね。

それから彼が向かった先が中南米のグアテマラでここでは、革命を成功さして農地も国営化にして民衆に農地を平等に与えて貧富の差を無くしたアルベンス政権が支配してる素晴らしい国だったからゲバラは、ここに滞在する事を決めたらしいよ。

しかしそんな幸せも長くは、続かなかった。アメリカ資本に逆らうグアテマラを隣国のボンジュラスとエルサルバドルが攻撃して来たのだ。

それ等の敵国を後ろだてしたのは、資本大国アメリカであった

アメリカだけは、憎たらしいよな!

あっちこっちで悪さしやがるからな!

日本なんか革命だのアメリカに逆らうヤツがいないから今でも好き勝手な事をし放題だよな。日本にもチェ・ゲバラの様な英雄が欲しいものだ!

それは、さておき

それから彼は、自ら銃を持ち戦う事を決意した。

彼が戦士になったのは、この時からであった!

結果は、残念ながら惨敗

アルベンス大統領は、海外逃亡しアルベンス政権崩壊に終わってしまったよ。

それから彼が向かったのは、メキシコであった

このメキシコの地は、アメリカ資本に対する不満を持つ多くの革命を企てる者たちが集う場所であった。

このメキシコで彼は、カストロと出会うのであった

キューバ革命を決行したのは、1956年に約82名で行ったのだが残念ながら政府軍の待ち伏せにあいたったの12名にまで減ったのだった

その時に周りは、逃げるのが精一杯で重い荷物など捨てなければならないほどの状況だった!

そんな時にゲバラには、弾薬と薬のどちらかを捨てなければならない状況に追い込まれたのだが彼は、薬を捨てて弾薬を持ってサトウキビ畑に走ったのだった!

おそらく彼は、過去の経験からして医者でしかない自分では民衆など救えない

戦士として自ら戦わなければならないと判断したのだろう

実際カストロもそうであった彼は、アメリカ資本に支配されきったバティスタ政権に対抗するには、政治家としての言論だけでは、どうにもならない事を知っているからこそ戦うという選択しか無かったのだった!

ゲバラがキューバ革命の時に負傷した兵士の治療に実際使っていた医療器具を紹介しよう。

歯を抜く器具

鉗子(かんし)

ピンセット

たったのこの3つだけだった

彼ら革命軍が貫き通した掟も紹介しよう

❶最新式の銃では無く敵と同じ銃を持っていれば敵から玉を奪った時にそれが使えるから玉切れする心配がない。

❷負傷した兵士は、絶対に置き去りにするな必ず連れて逃げろ。そうしないと敵の拷問にあって味方のあじとなどを無理やりはかされるから

❸いくら敵兵でも負傷したら傷の手当てをしてやれそしたら我々の味方になるかそれが無理なら支援してくれる可能性が高い

❹捕虜を捕らえたら質問に答えたら逃してやれメリットは、❸と同じ

実際この4つの方法で革命軍は、400人にまで膨れ上がって支援してくれる民衆は大勢いて見事にバティスタ政権崩壊に成功したよ。

それからゲバラは、工業大臣にまで就任してキューバで奥さんと子供を持って政治家の道を歩むかと思っていたら

そんなに平坦では、無かったんだ

キューバという国は、ソビエトと同じ社会主義になったからね

当時は、アメリカ資本を支持する諸国とソビエトを支持する諸国の東西2大巨頭に分かれていたからね。

ゲバラは、国連で大国が力の無い国から搾取する事は、許されないとか弱い立場になる国々を養護する発言をしたんだ。

その大国とは、ソビエトのことだからね

カストロは、キューバを守る責任があるからそのためには、ソビエトの機嫌を損ねる訳にはいかないんだ。

それでゲバラと立場の違いで2人は、このまま一緒にやっていくのは困難になったからゲバラは、自ら大臣を辞任してキューバを離れる選択をしたんだ

奥さんと子供をキューバに残してね

その時にゲバラがカストロに宛てた手紙の内容を紹介するよ

手紙の内容

フィデルへ

 僕の中には今、さまざまな思い出が去来している。マリーア・アントニアの家で君と初めて出会ったときのこと、一緒にやろうと僕を誘ってくれたときのこと、革命に向けて準備をしていた緊張に満ちた日々のこと。
 あの日、誰からともなく、死んだときには誰にそれを知らせるべきかという話題になって、僕たちは、死が現実にありうるのだという事実に動揺した。だが、それは本当だった。革命においては(それが本物の革命であればだが)、勝利か死か、そのいずれかしかあり得ない。そうして多くの同志が、勝利への道半ばで、死んでいった。
 今、すべてのことが以前ほど劇的に感じられないが、それは僕たちが成熟したからなのだろう。しかし、同じことが今なお繰り返されている。僕は、このキューバの地で革命を行うということに僕が負っていた責任は、これを果たしたと思っている。僕は君に別れを告げる、すべての同志に、そして今や僕のものでもある君の人民に別れを告げる。
 僕は正式に、党指導部としての職務、大臣の地位、司令官の階級、キューバ市民としての資格を放棄する。僕とキューバは法的には何の関わりもなくなる。しかし、僕とキューバとの間には、何かの辞令でつながっているのとは違う次元の絆は残る。
 過去を振り返ると、僕はキューバ革命の勝利を確実なものとするために誠実に、献身的に働いてきたと思う。僕が何か重大な誤りを犯したとすれば、それは唯一、シエラ・マエストラでの最初の頃にはまだそれほど君のことを信頼していなかったこと、つまり、君に指導者としての、また革命家としての資質が備わっているということをすぐには見抜くことができなかったということぐらいだ。なんと素晴らしい日々だったことか。ミサイル危機のときの、輝かしくも、しかし過酷な日々には、君のかたわらで僕は人民の一員であることに誇りを感じていた。あの頃の君ほどに優れた指導者などまずいまい。僕自身、ためらわずに君に従い、ものの考え方、危険や原則といったものをどう捉えてどう評価するのかというその方法についても、君のものを僕のものにできたことを誇らしく思っている。
 世界の中には、僕のささやかなこの力を必要としているところがまだ他にある。キューバに対する責任がある君にはできないことが、この僕にはできる。僕たちに、別れの時が来た。
 別れていく僕の心の中は喜びと辛さが入り混じっているということを、どうか分かってほしい。僕はここに、建設者としてのもっとも純粋な希望と、僕の愛するもののうち、もっとも愛しいものを残していく。・・・そして、僕のことを息子のように受け入れてくれた人民に別れを告げる。それを思うと、心の一部が切り裂かれるようだ。僕は、新たな戦いの場に、君が僕にたたき込んでくれた信念、我が人民が持つ革命の精神、すべての義務の中でもっとも神聖なるもの、すなわち、帝国主義があるところならばどこででも戦うという義務を果たすものだという昂ぶる(たかぶる)思いを携えていくだろう。その思いは、引き裂かれたこの胸の痛みがどれほど深くても、僕に勇気を与え、心をとっぷりと癒してくれる。
 もう一度言う。キューバはもはや、僕の行動に対して何の責任を負うものではない。ただ一つ、僕の革命家としての行動は、これまでも、これからも、キューバにその規範があるという点を除いては。僕がどこか別の地で最後を迎えるとしたら、そのとき、僕の頭に浮かぶのは我が人民、とりわけ君のことだろうと思う。君が僕にさまざまなことを教えてくれたこと、手本を示してくれたことに感謝する。そして、僕の行動の最後まで、そうしたものに忠実であろうと努力するつもりだ。僕は常に、この革命の対外政策と自分を一体化してきた。それはこれからも変わらない。どこの地にいようとも僕は、キューバの革命家としての責任を自覚し、そのように行動するだろう。僕は子どもたちと妻には物質的なものは何も残せないが、それを恥だとは思わない。むしろ、そうであることを喜んでいる。この者たちのために何かを頼むようなことはしない。なぜなら国家が、生きていくのに、そして教育を受けるのに必要なものは与えてくれるはずだからだ。
 僕はまだ、君にも、我が人民にも言い足りないことがたくさんあるのかもしれない。だが、それはもう言うまい。言葉では僕の思いを伝えることができない。だから、これ以上書く必要もないと思う。

勝利に向かって、常に。祖国か、死か。
革命家としての情熱をもって、君を抱擁する。

以上

やっぱり奥さんと子供を自信を持ってキューバに預けられるところがゲバラ達が築き上げた国家だからそれだけ信頼できるのがよく伝わって来るよね。

それから彼は、コンゴに行って革命戦士の道を再び選んだのであった

しかしコンゴのゲリラは、予想外にも寄生虫そのものでゲバラの期待を大きく裏切る者ばかりであった

ゲリラ達は、働きもせず戦いもせずただ民衆から食料を支援してもらうことばかりを考え

ただの外国人としか思っていないゲバラの言葉など聞いてはくれなかった!

これほどまでに誠実なゲバラでも自分は一体なにものなのだと思い込ませるくらい酷い環境だったらしい。

それだけにコンゴにゲバラがいたのは、たったの半年だった

それから彼は、ボリビアで再び革命を試みたのであった。

残念ながら民衆のほとんどが見て見ぬふり状態で無残にもゲバラは、アメリカのCIAが後押しするボリビア政府軍に捕らえられて銃殺刑になったのだった!

彼は、公開処刑の時に銃殺する兵士がゲバラの偉大さに翻弄されて撃つのをためらったのだろか!

彼は、銃殺する兵士に向かって

俺は、ただの男でしかないだから早く撃て

この彼の言葉には、かなり深い意味を俺は、感じたよ。

なぜなら

俺は、ただの男でしかないっていうのは、誰でも彼と同じ事をするのは、可能だと言うことを彼は、みんなに1番伝えたかったんじゃないかと俺は、解釈したよ。

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